久々に興奮しております。
正直なめてました。
自分はこんな活動をしているよ!という宣伝のための本だと思っていました。
ところが僕の尊敬するブロガーさんがLINE@で薦めていました。
気付いたら本屋で買っていました。
感想を書いていきます。
日本に息苦しさを感じているのは僕だけじゃなかった
僕は人と少し違っただけでいじめられた体験があります。
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僕のいじめ体験談。出る杭は打たれる国では天才は育たない。
こんにちは。イクメン目指して修行中のカケル君だよー。 いいおっさんだけど自分を君付けしちゃうよー。 僕は元々は先生が真面目に怒っている時だけ変顔をして友達を笑わせるという変顔テロが好きな人間だったから ...
小学校の2年生のときから始まった僕の違和感を見事に言葉にしてくれていました。
みんなと一緒にしなきゃだめでしょ!
僕は小学校のときはランドセルではなくてアディダスのカッコイイかばんで通っていた。
リュックタイプではなくて手提げタイプだ。
みんなはランドセルだったけど僕は別に気にしてなかったし
友達たちも気にしてなかった。
ところがある日担任の先生に呼び出された。
担任「手提げタイプのかばんは荷物をもつと両手がふさがって危ないからやめようね。みんなと同じランドセルにしようね。」
内心は何が危ないんだろう?と思ったが口には出さなかった。
この先生はヒステリックなところがあることは児童全員の知るところだ。
そんなことを言ったら長いこと説教されるので空気をよんで何も言わなかった。
そして次の日にアディダスのかばんをリュックタイプにして登校した。
めちゃめちゃ怒られた笑
僕は空気も読めたがあえて読まないこともあるのだ!
僕「両手がふさがらないから危なくないよ!」
担任「そういうことじゃないの!どうしてみんなと同じにできないの!?」
みんな一緒の文化
その瞬間からこの国に違和感を感じていた。
「みんな違ってみんないい」という詩がもてはやされる中で
実際にはそんなものは認めない場所。
僕はそんなところで小学校中学校の9年間も過ごしたのだ。
おかげで噛んでもなんの味もしない薬にも毒にもならないつまらない人間の出来上がりだ。
目的は同じでもだめ
中学生の時には僕は名札を付けなかった。
シャツに直接安全ピンで刺すのだが、制服に穴が開くのがいやだったので付けていなかった。
先生「いい加減に名札を付けろ!ルールは何のためにあるのか知ってるのか?」
僕「先生や生徒が僕の名前を覚えるためですよね。」
僕「70人しかいない小学校からの持ち上がりだから僕の名前を知らない生徒はいない」
僕「先生も僕の名前は全員知ってますよね?意味がないじゃないですか?」
先生「そういう意味じゃない!みんな付けてるんだからお前も付けろ!」
僕はその年の美術の成績は、学年でただ一人の「1」だった。
僕の心の違和感を代弁してくれていた
上記のような例は誰もが一度は経験するのではなでしょうか?
身近な例だとテレビの規制や言葉狩りの数々。
災害が起きるたびにCMは公共広告機構のものばかりが流れる
理由は不謹慎狩りが怖いから。
僕はそんな日本にさよなライオンしたいよ・・・。
ロンドンブーツを語る上で欠かせない番組となったロンドンハーツも視聴者である一般人をだます企画は徐々に減っていった。
素人なのでつまらないという部分もあったと思うのだが苦情なども考慮していたのではないか。
本を書いたりMCをしたりしている著者の田村淳さんも僕と同じような違和感を持っていた。
違うのは違和感に抗っているところ。
僕にはとても魅力的に見える。
バスケをしていたのにあの走り方はどうかと思うが・・・。
芸能界は息苦しい
目次の一番初めがこの言葉で始まっている。
古きよき縦社会。
守らなければいけないお約束。
それらに対して淳さんがどのように感じているかが書いてあります。
この部分が僕違和感を正確に文字に起こしたようになっています。
同じように学校、職場で息苦しさを感じている人はぜひ一度この本を読んでみてほしい。
まだ世の中の理不尽に負けないように頑張っていた頃の自分に少しだけ還ることが出来るから。
日本人失格まとめ
芸人の書いた本なんてたいしたことなさそう。
そう思う人が大半だろうと思う。
でも又吉は芥川賞をとったし、キングコング西野の絵本はめちゃめちゃ売れている。
もはや芸人とかタレントとかその人のカテゴリだけ見て判断するのはやめよう。
この本にはその方法も書いてある。
自分の周りがそんな世界になったら面白いか。
そのためにはどうするべきか。
僕はこの本をオススメする。
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